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| 箱根学生音楽祭編 |
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ベース四年 黒沢 誠治 |
いつから本気で出ようなんて考え出したのだろう。始まりは今年の2月。上野で行われたとあるコンサートの帰り。このまま帰るのもつまらないと思いそこら辺にいた仲間を誘って入った居酒屋。ここで新歓期の早稲グリ恒例のイベントであるカルテット大会に出場するカルテットを結成した。確かこの席上だった気がする。どうせ目指すなら「はこね」に出よう、と。 大会には6人以上メンバーをそろえないといけない。僕たちは5人。あと1人をどうしようかとあれこれ議論するうちに4年全員でやっちゃおうかという結論にたどり着いた。熱すぎる、この企画。こうして個別に全員を説得する日々がスタートした。ある人はメールで。ある人は6連の控え室で。ある人は100kmハイクで。みんな意外とあっさりOKしてくれた。大会当日は大学院の試験があるという仲間も、最終審査会出場に望みを託すという形で参加してくれることになった。後は書類審査とMD審査が待ち構えている。 コンクールに出たことの無い我々には一体何を録音すればいいのか解らない。市川と相談した結果「エール」でいいだろうということになった。なかばヤケクソである。録音のチャンスは2日。4連が終わった直後から準備に入った。録音を済ませたあと、部室でみんなで聞いてみた。…あとは祈ろう。 書類審査もなかなか大変だった。就職活動でのエントリーシートより悩んだかも。研究室で教授の目を盗み、やっとの思いで書き上げた。チーム名は平井の思いつきで決定。あとは祈ろう。 日ごろの行いがいいのか、悪運が強いのか。はたまた審査員の手違いか。ともかくもここに改めて「野郎たち99」が活動を開始した。開始したといっても7、8月は忙しい。学生の本分を痛感するテストの嵐、開放感に浮かれる夏休み、一大イベント「演奏旅行」、夏合宿。9月のラストスパートに賭けるしかない。学生会館は精神と時の部屋となった。 9月10日。普段よりかなり早く目が覚めた。箱根へは新宿組と横浜組に分けて向った。無事に箱根湯本に到着…するわけが無い。一体彼は演奏に間に合うのか。逆境。 バスに揺られること30分。仙石原文化センターに到着。すでに出場者がたくさんいる。まだ彼は到着しない。受付を済ませ広場で最終練習。昼食を取り、衣装に着替えてステージ袖へ。トップバッターは早大合唱団のみなさん。もうじき開会という時に最後のメンバーが到着。直前に盛り上げてくれる心憎い演出に、一同喝采。いい雰囲気になってきた。 演奏そのものはこれまでの僕たちを存分に表現できたと思う。飾ることの無い自然の姿であった。結果は残念なものであったが、会場で受けた拍手は1,2を争うものであったと自負している。 終演後宿へ。一同思い思いにわいわいと楽しんでくれていたようで、演奏そのものよりよっぽど価値のある時間を過ごせたと思う。 翌日は生憎の雨であったが、それぞれ自由時間内で観光を楽しんだ後、最終審査会を聴きに会場に集合。明治大学の応援団のパフォーマンスもあり、会場は相当盛り上がっていた。さすがに最終審査会だけあってどの団体もとてもレベルの高い聴き応えのある演奏だった。あのステージに立つことを目標にしていただけに、見るのが多少辛かった。青春の苦味。それだけにみんなから学ぶことも多かった。やっぱり何にもまして楽しくやることが大事だということ、これを再確認できたことが最高の収穫だった。 |
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「野郎たち99」箱根物語 セカンド四年 村上健一 |
| 箱根駅伝や「箱根の山は 天下の嶮 函谷関も物ならず♪」の箱根八里で有名な箱根町に、9月10日の早朝、私たちワセグリ四年生は「第六回はこね学生音楽祭」に出場するために飛び立った。簡単なワセグリ史(!?)を辿るとワセグリは1940年に全日本合唱コンクール男声の部で優勝し、戦後復活第一回大会(1946年)2位、第二回大会(1947年)優勝。その後も出場した大会は常に上位入賞を果たしたが、読者の皆さんの周知の通り(!?)現在は在学四年間に可能な限りレパートリーを広げて海外を含む積極的な演奏活動を行うためにコンクール出場をやめていた。それが今回四年生のみという不完全な形ながらもワセグリの名前で(登録名は99代目のワセグリの“漢”を意味する「野郎たち99」。私たちにぴったり(笑)この音楽祭に参加することに決めた。前日の音楽祭公式ホームページの掲示板の「名門早稲グリの主力がついに箱根に見参か。大本命の一角。」には驚いた。私たちの演奏を楽しみにされている方もいると思うと一段と気合が入る。 電車とバスで風景を楽しみながら会場に到着すると他チームは既に練習していた。各チームの個性を感じる。衣装・選曲・形態等全てが自由な雰囲気の中で私たちは正統路線の白ジャケで挑む。私たちのステージが始まる。信長氏編曲の「箱根八里」を歌った後に、宮城県民謡「斎太郎節」。この「サイタラ」に燃えなければワセグリではない。尋常では歌えない曲なのだ。これを歌いに参加したと言っても過言ではなかった。「大漁だ えぇ〜!!」ワセグリサウンドで咆哮する熱唱団「野郎たち99」のステージは終了。他の10チームを客席で観戦。所謂常連さんも多く趣向の凝った印象に残るステージばかりだった。何よりどのチームも音程・ピッチなどの音楽性はもちろん演出・表情の豊かさ等この音楽祭にかける思いが滲み出ていた。わたしたちの結果は初日での審査落ち。しかし私たちは清清しい気持ちになった。たくさんのことを学ばせていただいた。もちろん二日目に参加できないことは悔しかったが、私たちが未体験の審査されるコンクールに向けて研鑽を積んできたチームを素直に賞賛し、会場を去った。当たり前に与えられてきたステージに関する意識が変わった。歌う舞台は掴み取るものだと。 宿舎では修学旅行のような雰囲気になり大変楽しかった(飯うまい!温泉最高!しかも安い!)。辛苦を共にした四年生だけで練習し、こんな時間を共有できたことは夢のようだった。四年生は残り三ヶ月弱で「集まり散じて」しまうが、今回を通じて一層絆が深まったと思う。二日目の午前の自由行動も様々なレジェンドが生まれた(海賊船最高!(笑))。審査&明治応援団(ブラボー!)も終わり結果発表を聞き大盛況のうちに閉幕した音楽祭。普段見に行く演奏会とは一味も二味も違った音楽祭で多くの刺激を受けた(贅沢言えばもっと他チームと交流する機会があれば・・・)。改めて受賞チームの皆さん、おめでとうございます。私たちの雪辱を野郎たち100、101(名前が残るのか?)が果たすかどうかはわからないが、きっとワセグリは今後も新たな音楽的挑戦をどんどんしていくだろう。11月26日の定演では箱根で一回り成長した最高学年がオンステするワセグリに期待して下さい。 |
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