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四連を終えてA
 

四連お疲れ様号に寄せて

サブ四連マネージャー 河崎

 早慶交歓演奏会、東西四大学合唱演奏会。この二つの演奏会はサブ四連マネージャーの私にとって初めて本格的に運営に携わる演奏会であった。そのため、四連までの運営に携わった期間は慣れないことばかりで本当に大変であった。まず、苦労したのが「時間の使い方」であった。この時期は授業、ゼミ、練習、マネージャーの仕事、バイトなどとやることが沢山あり、どれを優先させてやるべきかを常に考えていた。いや、正しくは考えざるを得ない状況であった。また、今まで、全然立てることはなかった1週間計画のようなものを作ったりしてみたり、少ない時間で多くの業務を行えるような工夫を行った。しかし、所詮、計画は計画。当然のように計画はドンドン崩れていき、仕方なくグリークラブのために授業を切ったり、バイトをきったりして、なんとかこうにか間に合わせていた。そして、このような準備期間を経て、東京での早慶交歓演奏会を無事終え、そして、その1週間後(四連前日)ついに私は、旅の最終目的地である京都へと旅立った。

 そして、迎えた四連当日。私は京都のホテルで目を覚まし、真っ先に窓から天気を確認すると、曇りであることを確認した。これならお客さんの入りも心配ないだろうとホッと胸をなでおろした。
 しかし、京都コンサートホールに着いてから、あと1時間ほどで開演時間となる時であった。業務のためフロントに行き、大きな窓から外を確認すると、なんと外は大雨。ザンザン降っていた。そのため私は開演1時間前にお客さんの入りに不安覚えて、ステージに上がることになった。
 それから、あっという間に本番の時間になった。ステージ横では、不安を抑えられなかったが、気持ちを切り替えてステージに立つしかなかった。そして、暗転したステージに入場すると、なんとほぼ全ての客席が埋まっていた。雨にも関わらず、沢山のお客さんが来てくれたのだ。驚いたことに、今まで経験してきた演奏会で一番入っていたと思う。
 そして、演奏を終えると、今までに無い温かい拍手をしてくれて、本当に感動した。特に『季節へのまなざし』の演奏後の拍手は一人一人の気持ちがとてもこもっているものに感じた。それから、全てのステージを終え、ロビーストームになっても、多くのお客さんが残ってくれていたのには、さらに感動した。
それから、四大学合同での打ち上げがあったのだが、そのとき相方である慶應のサブ四マネHと鴨川を背に飲んだビールは本当に上手かった。それからは、この運営に携わった約2ヶ月の間の苦労やらを思い出したり、ワセグリの仲間や慶應、同志社、関学の人たちと騒いだりして、久方ぶりの楽しい時間を過ごした。

 この四連までのあいだは、何人かの人に愚痴を言ったりしてしまうことがあった。そのようなことをしてしまったことは大変申し訳なかったと今では反省している。でも、そのような時にでも支えてくれた仲間や先輩や後輩たちがいた。特に、チーフ四マネである倭さんと慶應のHには何度も助けてくれたので、本当に感謝している。本当にありごとうございました。

 最後になりますが、来年の四連は東京開催です。東京での演奏会は京都とは違ったものになるでしょう。四連の伝統を引き継ぎつつ、新しい風を取り入れて良い演奏会を作り上げていきたいと思います。来年の四連も楽しみにしてください。



「京都土産 〜四連を終えて〜」

バリトン(ベース)三年 木村将

 今年の四連は関西、それも30年ぶりの京都開催だった。
 しかし、本番前日の僕自身はというと、合同リハでセリフを度忘れ、宿舎に移動する途中の地下鉄の網棚にリュックを置き忘れる(すぐに戻ってきたが)など、団員の皆さんに多大なるご心配とご迷惑ををおかけしてしまったことを、この場を借りてお詫び申し上げたい。疲労のあまり夕食も食べず、入浴もせずにそのまま寝ようとしても、なかなか寝付けなかった。
 本番当日の朝は起きてすぐに入浴したが、朝食はあまり食べられなかった。さらに、ホールに着いてからも、リハ前に二回お腹を壊すなど、本番は本当に体が持つのかと思ったが、なんとか体調も回復、本番に間に合わせることができた。(早慶交歓のときも同じような状態だった。)

そして本番。エールはやはりどの大学も上手い。エールの後、なぜか星君が泣いていた。
単独ステージ。山田和樹先生による、時に水の如く繊細で、時に炎の如く激しい練習。それを経てつくられた、早稲グリ版「季節へのまなざし」は、山田先生が指揮台を降りる前に「ブラボー」の歓声が飛ぶほど、満員の会場を拍手喝采に包んだ。(ここでも泣いていた団員がいるとかいないとか)
そして合同ステージ。曲は信長貴富先生作曲「饗宴の歌」。ネイティブ・アメリカンの口承詩をテキストに作られたこの曲には、冒頭で三人の語りのソロがあり、僕はその三人目のソロを僭越ながらやらせて頂いた。緊張感に包まれてその曲は始まり、僕はソロをつまづくことなくやり終えた。
ステージストーム。慶応が「Set Down Servant」で、指揮者を入れ替えるという演出で観客の笑いを誘う。負けじと早稲田も十八番の「斎太郎節」、得意の子音で応戦。そして終演後のロビーストーム。準星が号泣。

この京都での四連を経験して思ったことは、京都の人々がすごく温かかったこと、普段会えない同志社・関学の連中と共に歌い、酒を交わせたこと、そしてグリーメンの涙もろさ(笑)だった。その思い出は、何よりの京都土産であった。

「早慶交歓・四連そして…」

セカンド二年 大町基

 Webマガジンをお読みの皆様、こんにちは。
 早慶交歓と四連が終わってから早くも一ヶ月が経とうとしています。今回の四連は僕にとって初めての四連で、しかも関西での開催ということでとても緊張しました。今回の演奏会で演奏した「季節へのまなざし」という曲は、定演、送別、六連とそんなにステージに乗った経験のない僕にとって、とても難しい曲に思えました。そのため、この曲に対しては以前に演奏した曲以上の努力をしてきました。先輩方や今回の指揮をして下さった山田和樹先生の指導のおかげで、最終的に僕はこの曲に関して深く考えることができ、自分にとっても満足のいくようになることができました。
 演奏会当日には、僕は自分なりに全力で歌うことができました。多くのお客さんの前で、満足のいく結果になれたことをとても嬉しく思いました。
 今回の演奏会は、僕が最下級生として乗る大きな演奏会としては最後のものでした。次の定期演奏会からは、今の新入生たちが一緒に歌うことになるので、これからは上級生という立場で演奏会に乗ることになります。そういう意味も含めて、今回の演奏会を新たな旅立ちというように考えて今後も頑張っていきたいと思います。
 最後になりますが、早慶交歓および四連に来てくださった方々、指揮を振って下さった山田先生や僕を指導して下さった方々、早慶交歓に来てくれた新入生たちに一団員として感謝を申し上げたいと思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。


「四連を終えて」

バリトン二年 澁谷光太郎

 四連単独の「季節へのまなざし」を某大学の演奏ライブラリで初めて聞いたとき、あまりの美しさに鳥肌がたった。それと同時に、こんなにも美しい曲を自分たちで作り上げていくのだという期待と果たしてそれができるのだろうかという不安が自然にわいてきた。

 しかし、当然練習は厳しいものとなった。さすがは、荻久保和明先生。そうそう、こちらの思い通りにことが運ぶわけではない。毎日、パトリの方の厳しい言葉がパー練に響く。その期待にこたえようとしてもこたえられない自分を非常にふがいなく思った。ときには弱音がでることもあった。でも、そこで助けられたのは、やはり同期の頑張っている姿だったと思う。周りのみんながその人なりに頑張っているのを見て、とても頼もしく思ったのを覚えている。

 そして本番当日。
 あの不協和音が鳴り響いて、3stが始まった。歌っていると自然とこれまでの辛かったことやうれしかったこと、同期の頑張りや、先輩方の言葉、想いが走馬灯のように思い出されて、なんともいい難い感覚に襲われた。演奏が終わったときステージから降りたくないと思えた。この日のことを思い出すと1ヶ月たったいまでも涙が出そうになる。一生のうちでもこんなに感動できることはそうそうないと思う。そんな感動と思い出を与えてくれたグリークラブのために今後もベストを尽くして歌い続けたいと思います。